ネスパスには、たくさんの「新潟の仕事人」がいらっしゃいます。
今回は、新潟の「足立茂久商店」11代目・照久さんにクローズアップ。
記録のあるだけでも江戸時代から続く、伝統ある寺泊の「ふるい屋(道具屋)」。
先代・一久さんが開発した“レンジで使える曲げわっぱ”で注目される、
新潟県内で唯一の「曲げわっぱ」を製造している「道具屋」さんです。
現在、当主を務めるのは11代目・照久さん。
カメラをむけるとサッと決め顔!
とってもチャーミングな方ですが、新潟で唯一の「曲げわっぱ職人」さん!
先代・一久さんは、照久さんに仕事を教えながら、「新潟の杉を曲げる」ことの
可能性に挑戦・研究。数々の賞も受賞されましたが、3年前に他界。
現在は、11代目・照久さんお一人で、道具を作り続けていらっしゃいます。
イベントでは、曲げわっぱの実演を披露して下さった11代目・照久さん。
職人になったきっかけは、なんだったのでしょうか?
「大学では好きなことをしてこい、と言われ、地質学を専攻しました。
でも、三人兄弟の長男ですし、自分が継ぐしかないかな、と。」
全くの畑違いから、職人の世界へ飛び込んだ照久さん。
当時のお話を伺いました。
「父の作業を見よう見まねで、ひとつずつ、しっかり身につけていきました。
先のことをやらせてもらえなくて、じれったい気持ちを持ったこともありました。
それに、自分はとても不器用なんです。父(先代)は器用な人だったから、
私に対してとても根気強かったと思います。教えることがとても上手な人でした。
『不器用だからこそ、できるようになるまでしっかり覚えていける。
早くできるようになるよりも、技術をしっかり身につけて、蓄積していくことが大切だ』
↑ 曲げわっぱは一切金属を使いません。留具部分は、桜の木の皮。
おふたりの根気強さ。それが今の照久さんの仕事に結びついているんですね。
その分、自分で作った商品が売れた時は、喜びもひとしおだったのでは?
嬉しさだとか感慨だとか、そういう記憶もないくらい、
実は、練習用のものは作ったことがないんです。
練習はどこまでいっても練習、というのが父の考え。最初から本番。
だから気を抜けなかった。それが良かったのかもしれませんね。」
なるほど。気を抜かない癖をつける。基本のようで、難しいことです。
お仕事の難しさを伺ってみると・・・
「一番難しいのは、修理です。修理ができてようやく「そこそこ一人前」。
うちの特色は美よりも実を優先させること。美しさより、道具としての機能重視です。
それは、足立茂久商店が「ふるい・うらごし(道具屋)」から始まったからかもしれません。
プロの板さん(板前さん)や和菓子屋さんが、繊細な感覚でつかっている、
使い勝手がよいものをより長く使えるように、修理する。
プロ相手に、納得していただくものをご提供する。それが一番、難しいですね。
また、父が他界してからは、全て自分の責任・判断になりました。
自分で考え、決めなければいけない、でも、次のステップというか、
逆に、嬉しいことは?
「父からも言われていましたが、お客様が先生なんです。
足りない部分は、使う人が教えてくれます。
試行錯誤しながら、一緒に納得してもらえる形を探すこともある。
自分が作ったふるいで、お客さんが作ったそばを持ってきてくれたこともあります。
やっぱり嬉しいですね。」
このお客さんのニーズにひとつひとつ誠実に応えていく姿勢からできたのが、
こちらの道具。なんと、工事現場で使われている“曲げわっぱ”!
実は、弟が建設業なんですが、200℃を超えるアスファルトをふるう際、
ステンレス製のふるいは、熱くて熱くて持っていられない、という声があったんです。
そこで父(先代)が、『そういうことに応えるのがうちの仕事だろう』と。
シーズンには大量注文が来るので、本当に「誰か助けて~!」ってなります。笑」
これからの足立茂久商店・そして照久さんについて、伺ってみました。
「自分は、職人。まだまだ仕事に追われる中でもあり、また、自分の方向としても、
お客様を第一に考えたい。だから、調度品ではなく、道具を作る職人です。
調度品や芸術品を作ることも、素敵だと思います。
しかし、そういったものを作るには、今頂いている仕事を断らなければいけません。
自分としては、日常で使っていただく道具、お客様に納得してもらえる道具を作ることに、
興味の方向が向いているんです。」
「今年、嫁っこをもらいました!」
幸せいっぱい!な照久さん♪
謙虚な姿勢、チャーミングな人柄。しかし言葉の端々から、仕事への誇り、
手がける商品やそれを使っていただく相手への愛情を強く感じました。
照久さん、幸子さん、どうぞ末長くお幸せに♪♪♪