2014年3月4日火曜日

スコーンで、障がい者と共に、世界一を。青りんごの会 中村直さん~特集・新潟仕事人vol.15



夢があれば障害も乗り越えられるのでは。
スコーンで世界一を!

そう話すのは、焼きたての絶品スコーンで、お客様のみならずネスパススタッフをも魅了する、青りんごの会の中村 直さん。実は中村さんは、新潟市の障がい者支援施設のセンター長さん。


<NPO法人青りんごの会>
http://aoringo.or.jp/



◆◆◆


「青りんごの会は障がい者サポートセンターです。
 このスコーンも、センターで作ったもの。

 うちのスコーンは〝障がい者が作ったから〟
 じゃなくて、〝このスコーン最高に美味しい!〟から
 お金を出して、買ってもらっています。
 普通の一流店と、同じ考え方です。

 でも今は、障がい者施設がこの考え方をするのは、
 スタンダードじゃない。

 だからこそ、美味しさに感動してもらって、
 その上で、「実は、障がい者施設で作ったんですよ」
 って言うと、誰だって腰を抜かすはず。

 2020年、東京オリンピック。
 世界中の人が日本に来るこの機会に、
 世界中の人にこの体験をしてもらえたら、
 それって〝世界一〟。

 障がい者施設が、一流のパティシエに負けない
 こんな美味しいスコーンを作れるなんて!って、
 世界中の腰を抜かす絶好のチャンス。

 ということで、様々な方と協力して、
 障がい者と一緒にでっかい夢を叶える
 『夢スコーン世界一プロジェクト』をスタートしたところです。」



<『夢スコーン世界一プロジェクト』facebookページ>
 https://www.facebook.com/yume.scone







青りんごの会は、18~65歳までで、精神・知的・身体障がい者手帳をお持ちの方の、就労継続支援・就労移行支援をするNPO。
菓子工房やっき・やき、ミシン・織物工房わっく・わく、オーガニック野菜をつくるガッツ村の3つの事業があり、職員・ボランティアとのサポートのもと、利用者(障がい者)の自立や、本物の自信をつけることを目的とした、サポートセンター。


ここで、どうしてスコーンを?
そして、世界を目指すのはどうして?
お話を伺ってきました。




----はじまりは、「工賃3倍計画」!

「平成24年に、県から工賃2倍計画、
 「障がい者の賃金を2倍にしなさい」
 というお達しがあったんです。
 しかし、その年、うちは達成できなかった。

 だから、次年度に「じゃあ、“3倍”にしよう」と、
 独自に目標を立てた。

 3倍にするにはどうすればいいか?

 高くても売れるものを作って、
 高くても買ってくれる人が集まる場所で
 展開していかないといけない。

 人に相談して、紹介してもらって、
 新潟三越伊勢丹の催事に出展できることになりました。
 そこで、最低10万は売ってほしい、という条件をいただいた。

 障がい者施設だからって特別扱いされなかったことが良かったですね。

 単価を上げても売れるようにするにはどうしたらいいか?
 うちは量は作れない。薄利多売はできません。
 でも、美味しければ、高くても、量が作れなくたって、
 買ってもらえるんじゃないか。

 焼き立てのうちのスコーンに、私は、
 「世界一おいしい!」という自信を持っています。
 だから、催事場で焼きたてを販売するスタイルに、
 たどり着いたんです。

 まず、目標を決めて、それを達成するために進んでいく。

 当たり前のことなんですけど、
 障がい者施設にそんなことできるはずない、
 そう考えているのが、今は普通ですよね。

 〝障がい者が作ったものだから〟って、
 安く販売するのって、買い叩かれているのと
 同じなんじゃないか、とも思います。

 障がい者が作っているからこそ、です。

 サポートが必要だし、多くは作れません。
 だからこそ高く売らないと、
 働いている人たちの生活は豊かにならない。」




----「働く」よろこびは、みんな同じ。


「障がい者の就労支援=訓練なんだから、
 単純作業だけでいいんだ、
 って考える人もいるけど、それって絶対、
 本人がおもっしぇくないですよね。

 僕らだってそうでしょう?
 おもっしぇないことで、いい仕事ってできない。

 障がい者も僕らも変わらない。
 おんなじですよ。


 自分たちの作ったスコーンが、
 百貨店や東京、ネスパスで売り切れるほど
 人気で、美味しいと喜んでもらえて、
 それで、自分たちの給料が上がる。

 まさかそれを、自分たちが実現できるなんて、
 1年前は、夢物語でした。

 でも実際に、できちゃったんです。
 おもっしぇーですよね。

 それでもやっぱり、
 『そんなこと本当にできるんですか?』
 『こんなことやっても・・・』って、
 聞かれることもありますよ。

 私は、『お前次第だよ』って答えます。

 『これまで夢みたいなことが現実になったのは、
 美味しいスコーンを作ったお前がいたからだ、
 だから、できるもできないも、お前次第だ』


  って。」




----障がい者も私たちも〝変わらない〟


「障がい者と一緒に働く、っていうのが、
 自分にとっては、普通のことだった。

 18で社会に出てから、職を転々としていました。
 仕事って、稼げればいいって思ってましたから。
 造園の仕事では70歳くらいの人が〝普通〟に
 戦力だったし、競馬場で働いた時は、
 障がい者の人たちとチームを組んで、
 〝普通〟に仕事をしていた。

 その後、てっとり早く稼ごうと思って、
 トラック運転手をやっていたんですが、
 ラジオから流れてくる福祉や障がい者の問題、
 虐待とか・・・
 それにすごい、ムカムカしちゃったんですよね。

 不思議なことに、ちょうど、
 両親が福祉の仕事(青りんごの会)を
 はじめていた。

 私の父は元・市議会議員。
 父のところに障がい者の娘さんを持つお母さんから、
 〝卒業しても働くところがない〟って、
 相談があって。

 じゃあ、何か作って売りましょうか、
 ということで、母がイギリス文化が好きな人だったので、
 スコーンを作り始めた。
 それを学校バザーで売ったら、100とか200とか売れて。
 そんな『青りんごの会』の活動を、両親が始めていました。

 福祉のことに興味が湧いたことで、
 ある時に、父からこんな話を聞きました。

 『学校の先生がある障害のある子に対して、
 〝お前、バカだとは思ってたけど、障がい者だったんだな!〟
 なんて配慮のない言葉をかけられて精神障害になった、
 そんなことだってあるんだ』

 そこで、福祉の仕事をしている父を、
 はじめて尊敬したし、自分自身も、
 これはなんとかしないと、って思った。」



----そして、福祉の道へ。


「その後また運送屋をやっていたんだけど、
 有償ボランティアなども休日に始めました。

 その後、新潟県中越地震をきっかけに、
 障がい者支援の道に行こうと決めて、
 ヘルパー2級を取得。

 でも、経験もない自分は、仕事がなくてね。
 3~4か月、ニートというか引きこもりというか、
 そんな経験もしてね。笑

 その後、障がい者支援じゃなくて、
 老人施設に入社して、介護職員として働き、
 その後立ち上げに関わる仕事についたんです。

 この職場で私の人生観が変わりました。
 非常にいい時間と人に恵まれました。
 何もわからない、出来ない自分を必要としてくれた職場でした。

 親は、どーせすぐ辞めて、うちに泣きついてくるだろうと
 思っていたから...。私がデイサービスのセンター長に志願したりして、
 私がなかなか辞めないもんだから、
 驚かれましたよ。今までが今までだったしね。

 『まだ青りんごにいかないけど、
  もし親父が倒れたら行くから、まあ安心してよ。』
 なんて言ってたら・・・

 2011年に、本当に倒れてしまって。」





----青りんごへの加入と、自分自身の変化。


「前職を相談役・顧問という役員の立場にして頂き、
 今後も関われるよう段取りをしてもらいました。
 中途半端に投げ出す形になると施設に迷惑がかかるので、
 非常にありがたかったです。

 そして、2012 年に青りんごの会の副理事長兼所長となりました。

 まず、〝暇が一番人間をだめにする〟これを思いました。
 仕事が少ないと、がんばる理由もない。
 一般に売られている商品と同じ土俵では戦えないって、
 最初から、本人以外が思っている。
 『お前らにはこれしかできないんだからこれをやっておけ』
 なんて人から言われたら、誰だって、
 それ以下のことしかできないですよね。

 障がい者に限らず、
 〝どうせ〇〇したって、××だから、やんねー〟
 今、この空気を強く感じます。
 だから、夢を持てる場所をつくるのが大切だなと
 思うようになりました。



 それと、所長としての仕事ってなんだろうって
 考えるようになった。 

 職員の仕事は、障がい者を幸せにすること。
 それで障がい者がイキイキと生活できるのなら、
 それはその家族が幸せになる。
 この子を産んでよかった、って思える。
 それって、世界平和につながりますよね。

 そのために、所長としての私の仕事は、
 障がい者ではなく、職員を幸せにすることだ、と。

 自分が一番幸せじゃないと、他の人を幸せにできない。
 だから私は、一番幸せでないといけない、
 そう考えるようになりました。



 自分が幸せでいるための秘訣は2つ。
 いい〝習慣〟をすることと、
 目の前の人とコトを常に幸せにする〝心がけ〟。

 例えば、靴をそろえる習慣を自分につけて、
 どこでだっていつだって、靴をそろえる。
 「ありがとうございました」じゃなくて、
 「ありがとうございます」って言うことを徹底すれば、
 相手はまた自分のところを訪問しやすくなる。

 そういう、目の前のことをね、
 いつでも、どこでも、気を付けていると、
 なんでもないことに気付くようになるんですよ。

 それで、「自分が気になっちゃったから」、
 「当たり前のこととして」やっていたら、
 必ず誰か見ててくれて、話しかけてくれて、
 仲良くなって、褒められたり、信用してもらったり・・・

 そういう習慣・心がけって、最終的に、
 自分が一番幸せな状態になれるんだよね。



 そうして、何でも相談を受けてると、
 何でも屋みたいになるんだけど、

 でもね、頼まれごとは試されごと。

 自分ひとりでやらなくてもいい。
 できないことは、だれかを紹介すればいい。

 できませんって言っちゃえば、そこで関係はおしまい。
 まず『やります』って言って、誰かを紹介したなら、
 信用されるし、関係は続く。
 そしたら人が人をつないでくれて、世界が変わりますよ。


 とはいえ、自分だって昔は、
 自分のために世間があるとすら思っていました。苦笑
 前職時代は、あれやれ、これやれ、ってエラそうで。
 あるご老人に「中村さんは裸の王様だね」って言われて、
 みんなそう思ってんのかな、ってショックを受けたり・・・。
 本当に嫌われてましたし、イジメられたりもしました。

 自分がやりたいことを頑張るのもいいけど、
 人を応援することを、自分のやりがいにして、
 生きる力を持つことも素敵だと思うんですよね。

 私自身、青りんごに入って、自分のやることが見つかって幸せで。
 そうすると、不思議と、我欲がなくなったんですよね。
 何かをするために欲しいものは、たくさんありますが。笑」
 




「やりがいを持って働いて、お金をもらって豊かな暮らしができる。
 そんな自分の未来を、自分で思い描くことができたら、
 それで病気になる人なんていないでしょ?

 それは、障がい者だって健常者だって、それって同じです。

 生きる力になる。
 それに気づける場所が、青りんごでありたい。」






「自分は、おもっしぇーことばっかりやってる。
 だから、めちゃめちゃ忙しいけどね。

 めちゃめちゃ忙しいから、嫌いなことをやる時間なんてない。
 でもね、先をイメージしてると楽しい。

 仕事が全部楽しい人なんていないでしょ!
 って思われるかもしれないけど、
 俺は実際に、そうなんですよ。全部面白い。
 おもっしぇーことしかしてない。

 70~80年前って、今の暮らしは想像できてないですよね。
 だとしたら、今ぼくらがそんなのありえない、って
 思ってる世界は意外と速くくる。

 信じる人が増えれば。

 いつ自分が死んでも、誰かが引き継いでやってくれる環境を、
 一日でも早く作りたいですね。」





◆◆◆


「サポートすれば、競争力のある商品だってできる。
 この力って、もったいない資源だと思いませんか?

 障がい者たちがこんなにできるんなら、
 健常者だってうかうかしてらんなくなりますよね。笑
 そうすれば、未来はもっと、やばいことになる。」


中村さんが目指していることは、
『世界に発信する』のではなく、
未来のスタンダードを作ること。


「熱いねってよく言われるんだけど、
 自分としては、目の前の普通のことを
 しているだけなんだけど・・・」


中村さんのお話の中には、〝普通〟という言葉がたくさんでてきます。もしかしたら、中村さんはすでに、中村さんの考える未来にいるのかもしれません。しかし、その〝普通〟は、これからきっと広まっていく。そんな風に思わせてくれるのは、中村さんにはそれが「当たり前」で、揺らがないから。




青りんごの会の次回イベント出店は、5月頃を予定。
http://www.nico.or.jp/nespace/event.php


スコーンで世界一を。
次回のイベントも、楽しみにしています(^^)!!!